Beyond


2020

Vol.16 女子陸上競技部4回生 真部亜樹

「走れることが嬉しい!!」

笑顔で締めくくった4年間のラストレース


本日のBeyondは、女子陸上競技部4回生の真部亜樹さんです。

女子陸上競技部の長距離パートとして数多くの大会に出場し、立命館大学の上位成績に貢献してきた真部さん。

先日開催された大学4年間のラストレースである、富士山女子駅伝ではアンカーを任され、4年間の全てを出し切り、笑顔でゴールしました。真部さんのゴールテープを切る姿に多くの人が感動したことでしょう。

ラストレースの“笑顔”に込められた想いとは?

真部さんにとって女子陸上競技部とは?

「走ることが好き」という強い気持ちが溢れ出る真部さんに、これまでの陸上競技人生を振り返っていただきました。



「駅伝が好き」

兵庫県出身の真部さんは、小学4年生から陸上競技を始めました。

兄が陸上競技の長距離をやっていたことが影響し、「私もやりたい!」という思いで地元の陸上クラブで本格的に陸上競技に打ち込んだと言います。

真部さんも当時から長距離を専門にしており、マラソン大会では上位に入ることが多く、「走ることが楽しい!」という一心で競技を続けていました。

中学に入学後も、陸上部に所属し長距離を専門に競技を続けます。

真部さんは、中学の時から「高校でも陸上を続ける」という思いでいたと言います。

そして、中学3年生の夏に立命館大学の提携校である立命館宇治高校の陸上競技部から声がかかります。

立命館宇治高校は、真部さんが中学3年生の時に、全国高等学校駅伝競走大会で優勝しており駅伝の強豪校として知られていました。

真部さんは、中学3年生の時に立命館宇治高校陸上競技部の練習に参加し、「ここで競技を続けたい」という思いになり、親元を離れて京都府の立命館宇治高校に進学します。

これまで長距離を専門として800mや1,500mのトラック種目と、駅伝に出場してきた真部さんは、ある思いを強く持っていたと言います。

それは、「駅伝が好き」という思いです。

真部さんは、「駅伝は、その地域の景色や沿道からの応援が本当に力になります。そして、チームで戦っているという感じが大好きです」と話してくれました。

そんな駅伝に対する強い思いがある真部さんは、高校1年生の時から駅伝のメンバーとして全国大会に出場しました。

高校での3年間で日本一を獲ることはできませんでしたが、駅伝の強豪校で着実に力をつけた真部さんは、立命館大学に進学し駅伝で日本一を目指すことを決意しました。



「度重なる怪我に苦しむ」

立命館大学スポーツ健康科学部に進学した真部さんは「駅伝で日本一」を目標に大学でも陸上競技を続けます。

しかし、大学での4年間は度重なる怪我に悩まされました。

1回生では、怪我で1本もレースに出場せずに終わってしましいました。

2回生でも、夏に怪我をしてしまいます。しかし、怪我から復帰して11月から本格的に走り始めた真部さんは、富士山女子駅伝エントリー直前の記録会で手応えを掴みます。

そして、12月の富士山女子駅伝のメンバーに入りました。2回生の富士山女子駅伝が真部さんの大学デビュー戦になりました。

5連覇がかかっていた立命館大学のアンカーを任された真部さんは、1位で襷を受け取ると快走を見せ、そのまま1位を守り切り日本一のゴールテープを切りました。

真部さんは5連覇を達成した当時を振り返り、「先輩から1位で襷を受け取り、最後に陸上競技場を一周してゴールテープを切った瞬間は最高でした」と語ってくれました。

3回生になってからも怪我が真部さんを苦しめます。3回生では怪我で約半年間走れない日々が続いたと言います。

怪我で走れない時期も、プールでのトレーニングなどで体力を落とさないようにしていた真部さんは、怪我から復帰後に再び駅伝のメンバーに入ります。

3回生では、10月の全日本大学女子駅伝、12月の富士山女子駅伝に出場しました。

全日本大学女子駅伝、富士山女子駅伝は共に3位という結果に終わり、悔しさが残る中、真部さんは大学最後の1年を迎えます。


  写真提供:立命スポーツ編集局(https://twitter.com/ritsumeisports


「走れることが嬉しい」

4回生になった真部さんは、再び駅伝での日本一を目標に練習に励みます。

しかし、大学最後の年も怪我に苦しみます。

4回生では、5月に怪我をしてから7月までは練習をすることができず、苦しい日々が続いたと言います。その後、8月から練習に復帰し、夏合宿に参加することができました。

10月に開催された全日本大学女子駅伝では、メンバーに入り第3区を走りますが、痛みがある中でのレースになりました。

全日本大学女子駅伝は、前年と同じく3位に終わり、大学での残されたレースは富士山女子駅伝のみとなりました。

真部さんは、全日本大学女子駅伝が終わった後、足の痛みがとれず、11月12月はジョグ程度の練習しかできない状態だったと言います。

真部さんは、「当時は、富士山女子駅伝のメンバーに自分が外れてしまうことも考えました」と言います。

しかし、大学2回生から富士山女子駅伝でアンカーを任されてきた真部さんに対し、監督や仲間からは絶大な信頼を得ていました。

そして、真部さんは大学最後の富士山女子駅伝で再びアンカーとしてエントリーされます。

3年連続で富士山の麓でゴールテープを切ってきた真部さんは、アンカーに対する熱い思いを語ってくれました。

「富士山では、たくさんの応援の中陸上競技場のトラックを一周することができます。そして、ゴール後には監督やコーチ、仲間がみんな駆け寄ってきてくれます。これはアンカーの特権です」と笑顔で話してくれました。

真部さんの最後の富士山女子駅伝は、4位という結果に終わりました。

しかし、アンカーの真部さんは、“日本一”の笑顔でゴールテープを切り、4年間共に駆け抜けた“日本一”の仲間の元へ飛び込んでいきました。

真部さんに、ゴールテープを切った時の“笑顔”の理由を聞くと、「走れることが嬉しかったです。メンバーに入って、このチームのために走れることが本当に嬉しかったです」と話してくれました。

度重なる怪我を乗り越え、走ることが誰よりも大好きで、チームのことを大切に想う真部さんだからこその“笑顔”のゴールでした。



「誇り」

真部さんにとって女子陸上競技部は「誇り」だと言います。

真部さんは、「自分がこのチームの一人であることを本当に誇りに思えます。そして、チームメイトのみんなも尊敬できて、誇れることがたくさんあります。同じ種目でも違う種目でもお互いに応援し合えるチームで、このチームにいられたことが本当に誇りだと感じます」と語ってくれました。



真部さんは、大学卒業後に実業団で競技を続けることが決まりました。

実業団でも真部さんの「走ることが大好き」という思いを大切に競技を続けてください!!

真部さんには、いつも”誇れる仲間”がついています!

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