Beyond


2020

Vol.18 ラクロス(男子)部 4回生 井村啓思

自分らしくいられる場所

ラクロス部から感じた熱いものとは?


本日のBeyondは、ラクロス(男子)部4回生の井村啓思さんです。

大学から競技を始める人がほとんどというラクロス部で主将としてチームをまとめ上げてきた井村さん。

大学までは様々なスポーツを経験し、大学入学後はラクロス部で熱い仲間と共に4年間を駆け抜けてきました。

ラクロス部に入部した“きっかけ”とは?

井村さんにとってラクロス部とは?

熱いハートを持った井村さんに、ラクロス部で過ごした4年間を振り返っていただきました。



「自分が生き生きしていられるもの」

北海道出身の井村さんは、野球をやっていた兄と父の影響で、小学3年生から野球を始めました。

当時は、「プロ野球選手になりたい」という思いはなかったと言いますが、野球が楽しくて没頭していました。

中学では、「どうせやるなら強いチームに行きたい」という思いで、北海道で1位2位を争うクラブチームで野球を続けます。そして、中学3年生になると、チームの主将を任されます。

当時から、「大学までは野球をやりたい」「甲子園に行きたい」という強い思いを持っていた井村さんは、立命館大学の提携校である、立命館慶祥高校にスポーツ推薦で進学しました。

100名近い部員がいる立命館慶祥高校の野球部は甲子園への出場経験がなく、井村さんは、「初の甲子園出場」を目標に自宅から電車とバスで片道1時間半かけて通い、日々汗を流していたと言います。

高校1年生、2年生と主力チームで練習や試合を行っていた井村さんは当時を振り返り、「先輩と野球をする責任感や、スポーツ推薦で高校に進学して野球をしているという自覚を持って全力で野球に打ち込んでいました」と言います。

そして高校3年生になると、主将になりました。しかし、選手によってモチベーションの差が激しく、チームを一つにすることが難しかったと言います。

井村さんは、「当時は、試合に出場できない選手を自分の中で切り捨ててチームをまとめようとしていました。しかし、引退後に試合に出場できなかった選手の一生に一度の高校野球という青春を奪ってしまったという責任や、他人を批判して自分を正当化していた自分が情けなく感じました」と当時を振り返ってくれました。

高校3年間で「甲子園出場」という目標は叶いませんでしたが、高校野球を引退後にある出来事がありました。

アメフト部顧問の担任の先生から「アメフト部の部員が足りないから、高校アメフトの全国大会に助っ人で出て欲しい」と言われます。

そして、全くアメフト経験がなかった井村さんは、アメフトの全国大会に出場しました。

井村さんは、野球部の経験と野球から離れてアメフトの大会に出場した経験をして、「スポーツを通して目標に向かう、スポーツを通して多くの友達に出会う。やはりスポーツは自分が一番生き生きしていられるものだと思いました」と語ってくれました。



「ラクロス部から感じた熱いもの」

立命館慶祥高校から立命館大学スポーツ健康科学部に進学した井村さんは、高校の野球部の先輩が男子ラクロス部にいたこともあり、男子ラクロス部の練習に参加しました。

井村さんは、「男子ラクロス部の練習に参加し、選手全員から熱いものを感じたし、必死さが伝わってきて俺もやりたいと思いました」と当時を振り返っていただきました。

立命館大学体育会ラクロス(男子)部は、関西1部リーグに所属しています。120名弱の部員がおり、ほとんどの部員が大学から競技を始めると言います。さらに、監督がいないため選手自ら練習メニューや戦術を決めると言います。

男子ラクロス部に入部した井村さんは、入部当初はとにかく先輩にたくさん聞いて、競技のルールや戦術、技術を身につけていったと言います。

そんな井村さんのラクロスに対する熱い思いは、結果にも表れます。

1回生の時に関西選抜に選出され、2回生では立命館大学の男子ラクロス部での活動と関西選抜での活動を行いました。

そして、3回生からは男子ラクロス部で関西リーグに出場し活躍します。

大学からラクロスを始めた井村さんですが、ラクロスの魅力にハマり、男子ラクロス部の熱い仲間と共に最後の1年が始まりました。



「主将として大切にしたこと」

井村さんは、4回生になるとチームの主将になりました。

中学・高校・大学と競技は違いますが主将という経験をしてきた井村さんは、男子ラクロス部の主将として大切にしてきたことがあると言います。

それは、仲間への接し方です。

井村さんは、「高校で仲間の青春を奪ってしまった。どこかでみんな素敵な自分でいたいという心があるはず。それを引き出せる人間になりたいと思っていました。大学では、高校の経験から誰しもが幸せになりたいと根本的に思っているはず。”こういうやつだ”という表面的な決めつけではなく、必ずどこかで幸せになりたいと思っているはずだと信じて接していました」と言います。

井村さんは、大学最後の1年間は、怪我で1試合も試合に出場することができませんでした。

しかし、中学・高校での主将の経験を活かしながら、男子ラクロス部ひとりひとりと向き合いチームの勝利に貢献してきました。

井村さんは、最後に熱くこんな話をしてくれました。

「ラクロスは大学から競技を始める人がほとんどで、プロの世界もありません。もしかしたら、“たかがラクロス”と思われるかもしれません。しかし、その“たかがラクロス”をどれだけ本気でできるかがカッコいい人間かどうかだと思います」



「自分らしさを教えてくれ、自分らしくいられた場」

井村さんにとって男子ラクロス部は、「自分らしさを教えてくれ、自分らしくいられた場」だと言います。

井村さんは、「男子ラクロス部には、本当に意志の強い仲間がいます。小学生や中学生の時に始めたスポーツでは上にいけなかった。でも、再び上を目指してスポーツをやりたい。男子ラクロス部にはそんな熱い仲間がたくさんいます。だから本当に楽しかったし、居心地が良かったです」と語ってくれました。



スポーツを始めた頃から”かっこいい人間”になることを目指してきたという井村さん。

春からは、一般企業に就職し社会人となります。

”かっこいい人間”を追求し続け、スポーツをしていた頃のように輝いた社会人生活を楽しんでください!!

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