“選手”から“指導者”へ!
自ら行動し、チャンスを掴んだ4年間!
本日のBeyondは、女子サッカー部学生コーチ4回生の上田涼斗さんです。
2019シーズンに関西学生女子サッカーリーグ2部から昇格し、2020シーズンは1部で戦う女子サッカー部を陰で支え続けた上田さん。
女子サッカー部のコーチだけではなく、Jリーグクラブの分析担当としても活動していました。
指導者を目指そうと思った“きっかけ”とは?
女子サッカー部から得たものとは?
自ら行動し、サッカー指導者としてのチャンスを自らの手で掴み続けた上田さんに、選手を支える側に立った4年間を振り返っていただきました。
「プロサッカー選手になる」
京都府出身の上田さんは、幼馴染がサッカーをしていた影響で、小学3年生からサッカーを始めました。
当時は、「プロサッカー選手になる」という強い気持ちで毎日ボールを蹴っていたと言います。
ゴールキーパーをしていた上田さんは、「プロサッカー選手になるためには何をしなければいけないのか」を常に考えていました。
そして、小学5年生の時に、当時京都府で一番強かったチームに0-15で負け、その後、上田さんは15失点させられた京都府で一番強いチームに移籍します。
中学に入るタイミングでも、ガンバ大阪のジュニアユースのセレクションを受けたと言います。結果は、不合格でしたが、常にプロサッカー選手になるために、強いチーム、厳しい環境にチャレンジし続けてきました。
ガンバ大阪のセレクションに落ち、小学校の時に所属していたチームのジュニアユースに進んだ上田さんは中学時代に京都府トレセン(選抜)に選出されます。
中学2年生の時に、ゴールキーパーからフィールドプレーヤーにポジションが変わりますが、「プロサッカー選手になる」という夢は変わらず強く持ち続けていました。
そして、中学3年生で進路を選ぶ際も、「一番厳しそうな高校を選ぶ」という思いで、強豪校である福岡県の東福岡高校に進学します。
「絶対腐らない」
京都を離れ、福岡県の東福岡高校サッカー部に入部した上田さんは、300名近い部員がいる厳しい環境の中で苦しみながらも、常に自分と向き合い上のカテゴリーのチームに選出されるように努力を重ねます。
高校1年生の時は、「Aチームに上がるためには何が必要か」を常に考えていたと言います。
上田さんは、チーム練習が終わった後もAチームの選手達と自主練習をして常にモチベーションを高く保ち続けていたと言います。
高校2年生になると後輩が自分よりも上のチームで試合に出場することもあったと言いますが、「サッカーをしに福岡に来たから絶対腐らずにやる」という思いでいました。
高校3年生では、これまでの努力が実り、公式戦に出場する機会がありましたが、怪我で半年間プレーできない日々が続きます。
上田さんは、東福岡高校サッカー部で過ごした3年間で「正しい努力をして結果を出させる人になりたい」という思いが湧いてきたと言います。
この思いから、「指導者をやりたい」という気持ちになったと言う上田さん。
サッカー部での3年間を通して「指導者になりたい」という新たな夢を見つけた上田さんには、高校3年生の時に、もう一つ大きな出来事がありました。
高校2年生の冬に同志社大学政策学部の指定校推薦を断っていた上田さんは、立命館大学スポーツ健康科学部に入学するための受験勉強をしていました。
上田さんは、「入試まで何日あるのか、偏差値の差、どの科目を、どれだけ勉強しないといけないのか、一日のノルマ設定、、、」といったことを明確にして偏差値42から62に上げて、立命館大学スポーツ健康科学部に進学します。
この受験から身につけた“努力の仕方”は、大学進学後も役に立ったと言います。
「サッカーを知ることができた」
立命館大学スポーツ健康科学部に進学後も、指導者になるために自ら行動し続けます。
1回生の5月に「指導者をやらせてください」と京都府の高校に自ら伝え2年間コーチとして活動します。また、1回生の終わり頃には、ドイツに行き、ドイツのチームで指導経験を積みました。
2回生になると、「サッカーで英語を学ぶ」という立命館大学内で開催されていたイベントをきっかけに、女子サッカー部の選手と出会い、立命館大学女子サッカー部の指導にも携わるようになります。
また、2回生から4回生までは、女子サッカー部の指導をすると同時に、Jリーグクラブの分析や運営にも関わります。
上田さんは、ガイナーレ鳥取の運営・SC相模原の分析・ファジアーノ岡山の分析・東京ヴェルディの分析を経験してきました。
上田さんは、「海外での経験、女子サッカー部での経験、Jリーグクラブでの経験を通して、本当の意味でサッカーを深く知ることができました」と語ってくれました。
小学5年生での移籍、ガンバ大阪のセレクションへのチャレンジ、東福岡高校サッカー部への入部、高校サッカー部の指導、ドイツでの経験、女子サッカー部コーチ、Jリーグクラブでの活動。
自ら決めたものに対して、一切の妥協を許さず、自らの行動でチャンスを手に入れ、一直線で夢に向う姿勢を貫いてきた上田さんは、最後に女子サッカー部への思いを語ってくれました。
「大学スポーツを知れた場」
上田さんにとって女子サッカー部は、「大学スポーツを知れた場」だと言います。
上田さんは、「海外経験、高校のコーチ、プロチームの分析を経験してきましたが、立命の女子サッカー部での経験がなければ今の自分はいません。大学サッカー部、大学スポーツは、プロの世界よりも良い環境と言えば良い環境だと思います。大学には何か学べるものが必ず落ちています。競技以外のことを学べる時間もあります。学生コートという立場で女子サッカー部に関わってきて、大学スポーツの現状がよく分かって本当に良い経験をさせていただきました」と語ってくれました。
上田さんは、大学卒業後に京都先端科学大学サッカー部のコーチとして活動します。
これまでの様々な経験を大切に、夢に向って走り続けてください!!