Beyond


2020

Vol.15 女子ソフトボール部4回生 宮迫南波

全員で泣いて全員で笑えるチーム

“仲間”と本気で語り合った日々


本日のBeyondは、女子ソフトボール部4回生の宮迫南波さんです。

中学時代に、ソフトボールの全国大会で連覇を成し遂げ、大学では主将としてチームを引っ張ってきた宮迫さん。

大学でのソフトボール人生は、勉強との両立や、主将としての様々な苦労がありましたが、辛いことからも逃げずに真正面から立ち向かっていきました。困難に立ち向かう中で多くの学びを得たと言います。

主将として意識してきたこととは?

宮迫さんが思う“女子ソフトボール部”とは?

チームメイトから厚い信頼を受ける宮迫さんに、これまでのソフトボール人生、主将としてチームと向き合った日々を語っていただきました。



「みんなに追いつく!」

広島県出身の宮迫さんは、中学からソフトボールを始めます。

広島カープのファンということもあり、当時は野球をしたかったと言いますが、地元にソフトボールのチームがあり、地元のチームで本格的にソフトボールを始めました。

宮迫さんが入団したソフトボールチームは、強豪チームでした。

そのため、宮迫さん以外のほとんどの選手が小学生の頃からソフトボールをしていたと言います。

中学からソフトボールを始めた宮迫さんは、チームに入団した時から周りの選手と差があると感じ「みんなに追いつく!」という強い気持ちでソフトボールに没頭しました。

試合で打てなかった日は、試合後に公園で5時間素振りをすることもあったと言います。

こうした宮迫さんの努力は、結果として実を結びました。

中学2年生の全国大会決勝で、宮迫さんは代打で出場しタイムリーを放ちます。宮迫さんの活躍もあって、全国制覇を成し遂げました。

中学3年生では、レギュラーとして再び全国大会の舞台に立ち、2連覇という快挙を成し遂げました。

宮迫さんは、「中学生の時の周囲に追いつこうと努力した日々があったからこそここまでこれました」と当時を振りかえってくれました。

宮迫さんは、中学の3年間で結果を残し、高校でもソフトボールを続ける決断をしました。



「高校でソフト辞めよう」

中学の3年間所属していたチームのコーチが、広島県の清水ヶ丘高等学校の女子ソフトボール部で指導することになりました。

宮迫さんは、中学時代のコーチと同じチームでソフトボールをしたいという思いがあり、清水ヶ丘高等学校に入学しました。

清水ヶ丘高等学校の女子ソフトボール部は、宮迫さんが入学するまでは全国大会出場の経験がありませんでした。

しかし、宮迫さんが高校1年生と3年生の時に、全国大会出場を果たします。

宮迫さんは、「高校では、入学するまで全国大会出場がないチームだったので、中学の時よりも恐れるものはなくどんどんチャレンジしていく気持ちで3年間過ごしました」と語ってくれました。

宮迫さんは、高校3年生になるとチームの主将を任されます。

主将になった当時を振り返って宮迫さんは、「自分がチームを引っ張る立場になっても、謙虚な姿勢を忘れずに、天狗にならないように気をつけました。でも、チームを引っ張る難しさは毎日感じながら過ごしていました」と言います。

主将としての難しさを感じながらも、3年間ソフトボールをやり切った宮迫さんは、大学でソフトボールを続ける考えはなく当時は、「高校でソフト辞めよう」と思っていました。

しかし、宮迫さんの元に立命館大学から推薦のお話が来ます。

宮迫さんは、そのお話を聞いて、「大学でもソフトができる環境があるんだ」と思い、大学でもう一度ソフトボールを挑戦する決断をしました。

ソフトボールだけではなく、勉強もしっかりとして大学では文武両道を実現させたいと考えていた宮迫さんは、立命館大学法学部に進学し、女子ソフトボール部に所属しました。



「チームのやる気を起こさせる」

「文武両道を実現させたい」

そんな思いで大学に進学した宮迫さんですが、入学当初は、勉強とソフトボールの両立に苦しんだと言います。

それでも、「完璧主義」と人からよく言われるという宮迫さんは、ソフトボールがどれだけ忙しくても勉強の手を抜かなかったと言います。

そして、「大学1回生が終わる頃には、勉強が楽しいと感じました」と言います。

宮迫さんは、ソフトボールでも、1回生の頃から力を発揮しました。1回生からレギュラーとして試合に出場します。当時、1回生で出場していたのは、宮迫さんを含め2人だけだったと言います。

2回生、3回生でも試合に出場し、全国大会も経験しました。

そして、宮迫さんは、3回生の夏に主将に任命されます。

当時、主将をやりたいという気持ちはなかったと言いますが、同期のメンバーで話し合い、チームメイトからの推薦もあり、最終的には「自分がチームをまとめる」という強い決意をもって主将になりました。

主将は、スケジュールを組んだり、練習メニューを組んだり、練習試合を組んだりと、たくさんの仕事があったと言います。

しかし、副主将や主務の仲間に支えられ、主将としての仕事をすることができたと言います。

宮迫さんは、「周りに支えてもらって主将の仕事ができました」と言いますが、主将としての苦労もたくさんありました。

宮迫さんは、「個人個人のモチベーションによって、チーム全体が変わってしまいます。チームメイトのやる気を起こさせること。チームのやる気を起こさせることが本当に難しかったです」と語ってくれました。

そして、宮迫さんはチームのやる気を起こさせるために行動を起こします。

チームメイト一人一人と面談をして、全員のソフトボールにかける思いを主将自ら聞いたと言います。

面談では、本音を話すことで泣き出すチームメイトもいたと言います。

さらに、ひとりひとりの面談だけではなく、4回生だけでのミーティングを何度も行いました。

そこでのミーティングでは、チームとして向かうべき方向や4回生がどう在るべきかについて本気で話し合ったと言います。

ミーティングでは、みんなで涙を流すことや喧嘩になることもありました。

それでも、主将の宮迫さんは面談やミーティングを止めることはなく大切にしていました。

宮迫さんは、「友達と仲間は違います。本気で話し合える誇れるチームメイトはみんな“仲間”です」と笑顔で語ってくれました。

4回生の1年間は、リーグ戦で2部に落ちる経験や、全国大会出場など様々なことがありました。

宮迫さんは、女子ソフトボール部での4年間を振り返って、「ソフトボールから色々なことを学ばせてもらいました」と言います。



「喜怒哀楽をチーム全員で同じ感情で分かち合える場」

宮迫さんにとって女子ソフトボール部は「喜怒哀楽をチーム全員で同じ感情で分かち合える場」だと言います。

宮迫さんは、「私たちは全員で泣いて全員で笑えるチームです。大学の体育会はみんな大人でしっかりと考えを持った人が集まります。その考えを主将としてまとめることが難しかったけど、“仲間”と本気で泣いて笑ってぶつかり合って、このチームが大好きです」と語ってくれました。



大学での4年間を終えて、ソフトボール人生に一区切りをつける宮迫さん。

本気で笑い、本気で泣き、本気でぶつかり合った”仲間”は、これからの始まる新たなステージでの支えであり原動力です!!

宮迫さんには、素晴らしい”仲間”がついています!新しいステージでまた頑張っていきましょう!

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