Beyond


2019

Vol.14 バトントワリング部4回生 山科真菜

「大学ではやらないつもりだった」

それでもバトンを投げ続けた理由とは?


本日のBeyondは、バトントワリング部4回生の山科真菜さんです。

先日開催された、第47回バトントワーリング全国大会において立命館大学バトントワリング部の金賞に貢献した山科さん。

大学入学当初は、バトントワリングを続けるつもりはなかった山科さんですが、“ある出来事”がきっかけでバトントワリング部に入部します。そして、「新たな立命館のバトン部を多くの人に知ってもらいたい」という強い思いを胸に4年間競技を続けました。

大学で競技を続けようと思った“きっかけ”とは?

バトンを続けることができた原動力とは?

強い思いをもって競技を続けてきた山科さんに、17年間のバトントワリング人生、大学での4年間を語っていただきました。



「大学では、バトンを続けない」

大阪府出身の山科さんは、5歳からバトントワリングを始めました。

山科さんは、当時放送されていたアニメに憧れてバトンを買い、投げたり回したりすることにハマって、地元のバトンスクールで本格的にバトントワリングを始めたと言います。

バトンスクールは、5歳から社会人までの選手が所属しており、普段の練習から年上のお姉さんの演技が見られる環境でした。

山科さんも、5歳から高校3年生まで同じバトンスクールで競技を続けました。

小学生の頃は、審査員の前で一人で演技をする検定やコンテストで合格すると両親からご褒美が貰えるということがあり、それが一つのモチベーションになり、バトントワリングが楽しかったと言います。

山科さんは、小学6年生の頃にペアの種目で関西大会に出場し優勝を果たします。

関西大会優勝を経験できたことで、「全国大会も夢ではない」という思いになり、中学では「ペアで全国大会優勝」を目標に競技を続けます。

目標を持ってバトントワリングを続けた山科さんは、中学時代を振り返って、「一番大変な時期でした」と言います。

「練習時間は、平日は3時間、休日は12時間の時もあり、バトンが自分の生活の軸で、勉強や他のことができませんでした。バトンを続けなかったらもっとこういうことできたのにと思うこともよくありました」と語ってくれました。

そんなバトン漬けの中学時代を過ごした山科さんは、中学1年生の時にペアで全国大会2位になり、中学3年生の時に遂にペアで日本一になります。

そして、高校では「全国大会連覇」目標に競技を続ける決断をしました。高校での成績は、高校1年生の全国大会2位が最高成績でした。

当時の山科さんは、高校でバトントワリングを引退すると決めており、「大学では、バトンを続けない」という思いだったと言います。

勉強やバイト、就職活動といったバトントワリング以外の活動を大学では頑張ろうと考えていました。

この思いは、立命館大学スポーツ健康科学部に入学した直後も変わりませんでした。



「やっぱり、バトンからは離れられへん」

立命館大学のスポーツ健康科学部に進学した山科さんは、入学直後はバトントワリング部に入部する気はなく、新歓期間に大学の様々なサークルや、アメリカンフットボール部のトレーナーなどに興味を持ったと言います。

しかし、山科さんのバトントワリングに対する思いは消えてはいませんでした。

色々な部活動やサークルを見て、「私は、バトンしかないな」という思いになったと言います。

そんな思いの変化があった山科さんに、“ある出来事”が起こります。

スポーツ健康科学部の同期に、バトントワリング経験者がおり、すぐに友達になった山科さん。その友達と大学で過ごしていたある日、バトントワリング部に所属する友達の先輩から声をかけてもらいました。

先輩から立命館大学バトントワリング部の話を聞いた山科さんは、驚いたと言います。

立命館大学のバトントワリング部は、「世界一強い」と言われており、有名なコーチのもとレベルの高い演技をする集団だったと言います。

しかし、山科さんが先輩から聞いたお話は、「世界一強い」とはかけ離れた現実でした。

指導者が退任されたこともあり、20名程いた部員が激減し5名しかいないと言われました。

先輩から、「指導者や部員が減ってしまったけど、私はこの部活動を再建させたい」と言われた山科さんはバトントワリング部への入部を迷っていた同期と話し合います。

山科さんは先輩からのお話や、同期との話し合いを通して、「やっぱり、バトンからは離れられへん」と思い、悩んだ末にバトントワリング部への入部の決断をします。

山科さんは、バトントワリングをしていた時から憧れていた先輩が立命館大学バトントワリング部に所属していたことも入部への後押しになったと言います。

こうして、山科さんの立命館大学バトントワリング部での4年間がスタートしました。



「新たな立命館のバトン部を知って欲しい」

山科さんは、夏休み前にバトントワリング部に入部しました。

過去に様々な大会で金賞を収め、「世界一強い」と言われてきた立命館大学バトントワリング部。

そして、5歳からバトントワリングを始め、全国大会での優勝経験もある山科さん。

しかし、大学では大会で結果を出すことが目的ではなく、「新たな立命館のバトン部を知って欲しい」という思いで演技をしていたと言います。

1回生の頃は、部員が11名でコーチがいない状態でスタートしました。

先輩が演技の振り付けを考え、京都府大会に出場します。その後関西大会に出場しますが、全国大会には出場することができず1年目が終わりました。

2回生になると部員が増え、2名のコーチも就任します。すると、選手達も驚く結果が出ました。

2回生の全国大会で、優勝を果たします。

山科さんは、当時を振り返り「2回生の全国大会で優勝することができ、新しい立命館バトントワリング部を表現することができました。結果で多くの人に立命館を知ってもらうことができたと思います」と話してくれました。

全国大会優勝の影響で、バトントワリング部のスポーツ推薦枠ができたり、「立命館でバトンをしたい」という高校生が増えたりと、嬉しい出来事が沢山ありました。

3回生、4回生では、惜しくも全国大会2位という結果に終わりますが、部員11名でコーチがいない状態から着実に成長を遂げた4年間でした。

「新たな立命館のバトン部を知って欲しい」という思いを持ち続け、選手自ら強豪高校に行き合同練習やプレゼンを通して立命館大学バトントワリング部を知ってもらうための活動をコツコツと続けてきました。

その努力は、確実に成果として出てきており、「立命館大学のバトントワリング部に入りたいです」と言ってくれる人が増えてきており、山科さんは、それが何よりも嬉しいと言います。



「家族以上の存在」

山科さんにとってバトントワリング部は、「家族以上の存在」だと言います。

山科さんは、「バトン部のみんなとは、家族よりも長く過ごしてきました。その中で色々な経験を共にすることができて本当に良かったと思います。ぶつかることもあったけど、それだけ本気でお互いのことを考え合えたからこそ家族以上に大切な存在になったのだと思います。4年間バトンを続けられたのはみんなのおかげです」と笑顔で語ってくれました。



山科さんは、バトントワリングの選手としての活動は大学卒業と同時に終わります。

バトントワリング部での4年間の経験を胸に次のステージでも頑張りましょう!!

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