どんな状況でも楽しめ!!!
“柔道”での経験を経て、“先生”の道へ!
本日のBeyondは、柔道部4回生の宮嶋沙知さんです。
5歳から柔道を始め、大学では度重なる怪我に苦しみながらも4年間競技をやり切った宮嶋さん。
選手として柔道を続けながら、「先生になる」という夢に向かって様々な活動を行ってきました。
「先生になる」と思ったきっかけは?
大切にしている恩師からの言葉とは?
常に明るく前向きな宮嶋さんにこれまでの柔道人生、これから進む道について語っていただきました。
「体育の先生になる」
岐阜県出身の宮嶋さんは、5歳から柔道を始めます。
2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得した谷亮子さんの影響で柔道を本格的に始めたと言います。
小学生の頃は、柔道の練習や試合は男女で区別されていませんでした。宮嶋さんは、同年代の男子選手との試合では、苦しみながら勝利を収めることもありました。
そして、小学5年生の時には、初めて全国大会を経験しました。
当時は、”柔道が生活の一部”という感じで毎日を過ごしていたと言います。
中学校に進学後も柔道を続けた宮嶋さんは、「これまでの柔道人生の中で中学校の3年間が最も練習時間が長くハードでした」と言います。
中学生になると、試合は男女で区別されるようになりますが、練習は男子選手と共に行っていました。宮嶋さんは、中学校で男子選手と一緒に練習をしたことでさらに力をつけていきます。
「高校・大学と競技を続けていく中でも、中学で男子選手と一緒に練習をした経験がプラスになっていると感じることがよくある」と言います。
さらに、中学校の柔道部では宮嶋さんにとって大きな出会いがありました。それは、柔道部の先生です。
宮嶋さんは、「全てを自分たちに捧げてくれた中学校の柔道部の先生を凄くリスペクトしています」と語ってくれました。
そんな素晴らしい先生の元で3年間柔道を極めた宮嶋さんは、小学校の先生をしている母と中学校の柔道部の先生の影響で「体育の先生になる」という夢を持ちました。
そして、中学3年生の時に京都府の立命館宇治高校の柔道部からスポーツ推薦のお話をもらいます。
「体育の先生になる」という思いや、「高校では、柔道だけではなく色々なことに挑戦したい」と考えていた宮嶋さんは、岐阜県を離れ、立命館大学の付属校である立命館宇治高校に進学しました。
「自分が知っている環境だけではないな」
宮嶋さんは、高校から親元を離れることに不安はありませんでした。
両親も宮嶋さんが岐阜県を離れることに対して全く反対はなく、「行ってらっしゃい!」と快く送り出してくれたと言います。
立命館宇治高校に進学した宮嶋さんは、「全国大会」を目標に3年間柔道に励みます。
高校2年生の3月に、目標の全国大会に出場し全国5位という好成績を収めました。
「全国大会」という目標に向かって柔道漬けの日々を送りながらも、「体育の先生になる」という夢や、「柔道だけではなく色々なことに挑戦したい」と考えていた宮嶋さんは、高校で周囲の環境から色々なことを吸収していきました。
宮嶋さんは、生まれ育った地元を離れ、立命館宇治高校に来て感じたことがあると言います。
それは、「自分が知っている環境だけではないな」という思いです。
高校での3年間、寮生活をしていた宮嶋さんは「寮には、両親が海外に住んでいる人や、帰国子女など様々な人がいました。自分が今まで知らなかったことをたくさん学ぶことができました」と語ってくれました。
また、立命館宇治高校には外国人の教員も多く、普段の学校生活の中で自然と海外に対する興味も湧いてきたと言います。
そんな素晴らしい環境の中で宮嶋さんは、柔道だけではなく勉強にも力を入れます。
「体育の先生になる」という夢を叶えるために、体育の教員免許を取得できる立命館大学スポーツ健康科学部を第一志望としました。
「柔道だけではなくテストでも絶対手を抜かない」という強い意思を持って文武両道を体現してきた宮嶋さんは、第一志望の立命館大学スポーツ健康科学部に進学します。
「どんな状況でも楽しめ!」
立命館大学スポーツ健康科学部に進学した宮嶋さんは大学でも柔道を続けます。
スポーツ健康科学部は、びわこ・くさつキャンパスで授業があり、柔道部は衣笠キャンパスで活動があります。
宮嶋さんは、「キャンパスは違うけど柔道を続ける覚悟を持って入部しました」と言います。
しかし、大学での柔道は度重なる怪我に苦しみます。大学の4年間で2度の手術を経験し、思い通りに競技を続けることができませんでした。
そんな苦しい状況の中でも、宮嶋さんは恩師からの“ある言葉”を大切にして過ごしていました。
恩師である中学校の柔道部の先生から言われた、「どんな状況でも楽しめ!」という言葉です。恩師からの言葉と、柔道部の仲間からの励ましがあり、宮嶋さんは4年間柔道をやり切ることができました。
今年の10月に開催されたインカレ(団体戦)では、大会のメンバーに入ることができ、大学での4年間の柔道を締めくくることができました。
宮嶋さんは、大学の4年間で柔道部としての活動を続けながら、小・中・高の教員免許取得と、海外ボランティアの活動を積極的に行いました。
カンボジアの学校で体育の授業を指導するプログラムへの参加や、タイやベトナムでのボランティア活動を経験しました。
宮嶋さんは、大学で柔道だけではなく、様々なことに挑戦をしてきて、「先生になる」という夢がより具体的になっていきます。
立命館宇治高校で初めて海外に対して興味が湧き、立命館大学での海外ボランティア活動の経験を通して「将来は、海外で先生になりたい」という明確な夢ができました。
宮嶋さんが海外で活動をすることに対して、家族や柔道部の仲間達は、「今できることをやりな!」「沙知がやりたいことだから頑張って!」という姿勢でみんなが応援してくれると言います。
「自分の背中を押してくれる存在」
宮嶋さんにとって柔道部は、「自分の背中を押してくれる存在」と言います。
宮嶋さんは、「自分のやりたいことに対して、みんなが理解をしてくれて応援してくれました。柔道部にはそのような素晴らしい関係性が縦にも横にもできています。みんながいたからこそ辛いことも乗り越えてこられました」と笑顔で語ってくれました。
宮嶋さんは、大学卒業後に2年間ホンジュラスの小学校で体育の授業を指導することが決まりました。
人を元気にさせてくれる宮嶋さんの明るさで、ホンジュラスの小学生に、”身体を動かすことの楽しさ”や”笑顔”を届けてください!!